KOSMOSフォーラム
 
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第1回KOSMOSフォーラム2003
コーディネーターとの交流の場
 
このコーナーは、みなさまから寄せられたご意見・ご質問をフォーラム事務局で取りまとめ、
定期的にコーディネーターに送り、回答をいただく形式で運営しております。
 
意見
No.11
[12/05]
村上先生の発言の中で「自然と人間という 区別はむしろ奇妙な区別であって、人間が自然の中の一部であることは明らかなわけです」とありますが、わたしもその通りだと思います。人間は自然の一部でしかありえず、自然と人間との共生という考えは、自然と人間とを対等視した上で出てくる考えであり、人間からの主観でしかないと思います。自然破壊という言葉がありますが、人間が破壊したのは「自然」ではなく「環境」、つまり人間が住みやすい、存続するために必要な「条件=環境」を破壊しているのであり、自然にとっては、いくら破壊が進み生態系が崩れ、結果、人間が滅びても、それもまた自然の中のひとつにしか過ぎないのではないのでしょうか?
(大阪府在住)
 
回答
動物であるホモ・サピエンスのヒトはおっしゃるように自然の一要素です。しかし、「ヒト」は知的活動をする「人」に進化して「自然なnatural 」に対 して、「人為的な artificial 」という言葉を必要とするようになりました。ヒトと人の二面性を持つようになった性格を把握しないと、現実の「人と自然の共生」という認識は成り立たないと思います。(このことは第2回フォーラムで少し議論しました。)  
意見
No.10
[12/05]
トキの話にもありましたが、自然界は生態系の絶妙なバランスの上に成り立っており、一部を保護することにより、他の部分が崩れ、人知れず破壊・絶滅の道を辿っているような気がします。では、どの部分を人間が保護しようとするのかと考えれば、それもまた「美しいかそうでないか」、といった人間中心主義の考えにしか過ぎないと思われます。自然を見て美しいと感じるのは人間の共通の意識でしょうが、その美しさを保つために、人為的に手を加えることは、その自然が失われたときに生まれる、次の自然の姿を妨げていることにはならないのでしょうか?
(大阪府在住)
 
回答
ヒトがヒトと人の二面性を持つようになってから、相反する「自然な」と「人為的な」を共存させることは不可能となっています。それをどう馴染み合わせるかが、「人と自然の共生」を求めることです。私は言葉としての「自然保護」には疑問があり、人と共生する「自然の創成」が必要であると主張しています。たとえば、岩槻邦男『生命系』(岩波書店)を参照していただければありがたいです。  
意見
No.9
[12/05]
持続性科学と言う言葉が出てきましたが、この科学が目指すものとは何なのでしょうか?人間の発展、進化のために存在する学問のストッパーを設けるということなのでしょうか。もしそうであるならば、人間と自然との共生は、どこで折り合いをつけるべきなのでしょうか?
(大阪府在住)
 
回答
「持続性」という言葉は言葉だけが先走りしています。持続性科学は基本的には「持続性とは何か」を問い、そのために人が構築すべきものは何かを探究する分野です。
ご質問そのものに答えようとするのが持続性科学と考えられます。
 
意見
No.8
[12/05]
動物実験では、人間の環境をより良くするための目的で、日々動物たちが犠牲になっていると思われます。しかし、それを「倫理的」に「判断」して制限するというのは食用として食べられる動物たちとは一線を画する上で成立するということになります。それはなぜですか?
また、動物実験における「倫理的判断」の根底にあるのは、人間の“可愛そう”とか、そういった感情によって決定されるものなのでしょうか?
(大阪府在住)
 
回答
一口で答えるのは難しい問です。「動物愛護」とは何かを問いつめる必要があります。人は花を美しいと感動しながら、その花を摘むこと(花の生命を絶つこと)に何の罪悪感も感じません。動物を可愛がるということは、動物に喜びを与えることと独立に、自分「が」可愛がるという感情を募らせることにつながっている部分があります。癒しとしての動物愛護と、動物を知らないマニャックな動物愛護とを混同していては、この問題の本質を議論することはできません。人と自然の共生というテーマのもとに、あなたの行動はどのように動物と共生していますか、という問いかけに変えるべきでしょう。  
意見
No.7
[12/05]
◎人間の倫理に基づいた判断というのは正か?悪か?
判断という言葉を使っている時点で、我々は、その犠牲となる対象物を、ある価値を基準にふるいにかけていますが、その価値は一定で、皆が納得できるものなのでしょうか?
(大阪府在住)
 
回答
完成された「倫理」があると思いますか?その問題を追及することこそが、倫理の課題かと思います。「皆が納得」という場合の「皆」は人間でしょうか、人間と生物多様性でしょうか。私の倫理観は「皆」に「人」と「人を一要素とする生命系」が共に含まれると見ることです。「生命系」は岩波書店から出したこの表題の本を参照して下さい。  
意見
No.6
[12/05]
今回のフォーラムによって、人間の自然への関わり方に関心を持った方が、その知識をさらに深める事ができました。しかし、今回のフォーラム会場は大阪の梅田という都会の最たる場所で催されました。また、この質問の受付は都市化したことにより生まれたインターネットで行われています。このフォーラムに関して考えると、コミュニケーションの伝達速度や交通の便による参加のしやすさから、自然と対極にある都市で意見を発信するというのは、自然にとって有益な点もあると考えられますが、その相対関係をどう思われますか?
(大阪府在住)
 
回答
問題意識は万人が共有すべきものです。残念ながら、もっともそのことに責任をもつべきマスメディアはことの本質を理解していません。(していても知らぬ顔なのかもしれません。)だから、フォーラムを開くことを考えなければならないのです。梅田で開くことも、もっと田舎で開くことも必要でしょう。そういう努力が地道に積み重ねられることこそが「人と自然の共生」を確立して行く道筋です。1回のフォーラムで完全な答えが得られるものなら、人と自然の明日に心配することは何もありません。  
意見
No.5
[12/05]
「人と自然の共生」という言葉には、まず、人間の手が介在されていない自然があって、それをどれだけ人間が調整することができるのか。といった意味が含まれている様に思います。その判断は、自然とどう関わっているかによって変わってしまうため、個人個人に差異がでてくるように思うのですが、これに統一見解は得られるものなのでしょうか。
(大阪府在住)
 
回答
「人と自然の共生」とは何かが問われています。これに対する共通の回答はありません。ですから、このフレーズを成り立たせているそれぞれの単語についても、それをフレーズに総合する手立てについても、一つ一つ正確に詰めていかなければなりません。「自然」という言葉一つについても、上のように短絡させないで、万人に共通の理解は何かを求めなければなりません。第1回フォーラムの発言の中だけでも、「自然」という言葉は極めて多様に使われていました。科学というのは、そのことを、最終ターゲットと今日の問題との二面作戦で追求するものだと理解します。  
意見
No.4
[12/05]
人間がもつ特有の行動として、ブーム、流行というものが挙げられると思います。人間が皆の行動に習うといったことで起こり、これは生きていく上で必要最低限なものではありませんが、人間は喜びや安心感を得る事ができます。しかし、それに呼応して、ある地域において経済が発展し、自然破壊が極端に進んだりするような事もあると思われます。このような人間の行為を「自然と人間との共生」という視点に立ったとき、どう思われますか?
(大阪府在住)
 
回答
上に書きましたように、「人と自然の共生」ということ自体が当面の(そして永遠の)研究課題です。ご指摘の問題こそが、その課題の中心の一つかと思います。私の意見は、「人と自然の共生」が地球規模で貫徹されればこの問題が共通認識となり、指摘された問題の本質が人間の課題になることだと思います。そのためのキャンペーンが、フォーラムの目的であり、この質問が出てきたことがその成果の60億分の1だということになります。  
意見
No.3
[12/05]
小山さんが「自然を壊すもの」のなかで、「動物のなかで一番悪いのが人間です」という発言をされていますが、「悪い」というのはどういった意味なのでしょうか?人間が自然に非常に影響力がある存在になってきているというならわかるのですが、それは人間という存在が、自然において、異物のものであるという意味から発せられた言葉なのでしょうか。それとも、自然を守るといった視点に立った上での見解なのでしょうか?
(大阪府在住)
 
回答
多分、ironical に使われたと思います。原始自然を「護る」という筋書きでいえば、それに反するのは人為・人工ですから、悪いのは人です。猿や象の行為は自然と相反する「猿為」とか「象工」とは決していいません。言葉が、人だけが反自然だといっています。(字引きにそう書かれていますから、これは共通の認識なのでしょう。)しかし、私たちの周りには原始自然などのこされていないという事実に基づけば、「自然」に反する「人為・人工」とは何を意味するのでしょうか。問題はそこから始まるということが小山さんの指摘ではなかったでしょうか。  
意見
No.2
[12/05]
◎自然破壊とは?
「里山の自然とは」のなかで、岩槻さんが「農耕がはじまったころは自然破壊ではなかったが、なぜ最近の自然に対する営為が自然破壊なのか」というコメントをされています。今回のフォーラムではその回答に向かわなかったと思いますが、人間の持つ力が強大になってきたため、自然を消費する行為を「自然破壊」という言葉を用いるようになってきたということでしょうか。
(大阪府在住)
 
回答
自然に対する営為を、かつては「自然と馴染みながら」進めてきた。しかし、科学技術が飛躍的に進歩して、「科学は何でもできる」と(勝手に)思い込んだ「人」が自然を一方的に変貌させてきて(征服したと思い込みはじめて)いた。そこに、(日本では)20世紀後半になってから顕現してきた「自然破壊」があると認識したい。ヨーロッパやアメリカでは、農耕地の開発、西への開拓の歴史が、(日本がリサイクル社会を見事に演出していた頃既に)自然を「征服する」という筋書きの「自然破壊」を演じていたと理解できます。ただし、たとえばヨーロッパでは、その反省が既に早くから「黒い森」づくりなどに生かされていました。  
意見
No.1
[12/05]
◎コントロールされていない自然について
小山さんが「山火事の諸問題」のなかで、「人間は自然をコントロールしてきた」という発言をされていますが、自然がコントロールされていないことで起こる災害とは、現地に住む人にとっては災難以外の何者でもありませんが、地球規模で見た場合、非常に貴重な存在であると考えます。そのコントロールの判断基準は、今は現地の人の裁量に任されている部分が多いように思われますが、それについてどう思われますか?
(大阪府在住)
 
回答
抽象的で答えにならない答えですが、ローカルな問題を常に地球規模で考える態勢を整えることが、21世紀の持続性の基本であるということです。人の科学と技術は、この問題(持続性)についてはまだまだ稚拙であり、そのために絶大な努力が求められていることを、万人が認識する必要があります。  
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