KOSMOSフォーラム
 
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フォーラムINDEX(第9回〜第10回)
第9回内容
第10回内容
第11回内容
 
 
第1回KOSMOSフォーラム 2003
 
フォーラム議事録
 
岩槻  われわれ自然科学をやっていますと、分析・解析をやって論文を書くということをやっているわけですけれども、そういうことをやりながら、統合的な視点を持たないと21世紀は救えないと考えている。個々に分析・解析するのではなくて、例えば、細胞システムとして、個体システムとして見るというのは、ペーパーにつながるとすれば、どういう形でしょうか。例えば、ネイチャーやサイエンスに載せるペーパーにつながらせるとすれば、どういうことになるのか。統合的な研究というのは一体何なのかということについて。
   
養老  システムに関する仕事は極めて簡単で、例えば、システム自体を構築するという、一番素朴なやり方はロボットです。ロボットをやっている研究者に聞きけばすぐに分かるんで、「おまえ、論文書ける」「書けません。論文書いている暇があったらロボット改良しています」と。これはアーティストがみんなそうで、絵描きさんはどうやったらいい絵が描けるかという本は書きません。そんなことを書くぐらいなら自分でいい絵を描いています。
 私は環境問題とはそういうものだと思うんですね、根本的には。皆さん方が、どういうふうに暮らすかということが環境問題なんであって、それを本にして出すことでは、本来はないと思っています。
 ですから、私も一人でやっていますけれども、それは、我々の、まさにさっきから申し上げている、我々の考え方だけだと思っているんです。
 だから逆に言うと、あんまり高いレベルの問題ではないような気がするんですね、そのシステムの問題というのは。だけども、少なくとも今の大学の中でいわゆる研究と称するものをやっていたらそういうことはできないよ、ということを誰でも知っているんですね。
 私は京大の霊長研に講義に行ったことがあるんですけど。夜になったら、若い研究者が『世界のカブトムシ』なんて本をいっぱい持ってくる。そういうのが好きなやつが霊長研にたくさんいるんですよ。「何でおまえらは霊長研にいるんだ」と言ったら、「霊長類を研究するというと大体熱帯に行ける。熱帯に行けば虫が捕れる」と、こういう三段論法なってるんです。だから、それなら素直に、そんなことができるように社会を変えたらいいだろうというのが、私の意見なんです。
社会の価値観を変える
 先ほど村上先生が言ったことは、極めて私は象徴的だなと思ったんだけど、ブタについての話。これは、ブタを体の中に入れても平気かという質問をするとだいぶん違ってくるんじゃないかと思うんですが、日本人はそういうところは意外と差別しないんだけども、今度は役に立つか立たないかということを徹底的に差別してくるんです。それで、虫なんかやってますと、そんな役に立たないことをやってという話になる。そこら辺の問題のほうが、私は生物多様性だったら、ごく具体的なむしろ問題だろうと思ってます。
 そういうことを一般の方があまり価値を置かないというか、そういうことに価値を置く人は、変わり者ということなんです、この社会では。
 だからそういうふうに社会の価値観を変えていただかないと。医者でしたら、論文書くより患者の面倒を見るのがまともな医者だろう、という教育ができるかということです。だけど、それがなぜできないかと言ったら、学生を採るときに入学試験で採ってるんですもん。入学試験ってなんだと言ったら点数で、まさに学生に関する情報なんです。だから大学でやっていることは、入試で学生を採っているのではなく情報処理をやっている。この点より上なら採るけど、東京大学は点切りですよね。そういう極めて合理的なシステムを我々作ってしまっているんで、そのシステムはおかしいと言うと、あいつは変だと言われるんです。それはですから皆さん方の常識の問題だと、私は思っている。
   
村上  養老先生は患者さんに対して、情報でなく理解しているのは看護婦さんだと言われた。だとすると、さっきから岩槻先生がしきりにおっしゃろうとしている、例えば個体については、医療の立場から言えば、看護婦さんという存在がある。では個体よりもっと大きくなったときに、生命系というシステムに対して看護婦さんがいるのかどうか、というのを少し伺いたいんですね。それは例えば今のだと、虫の愛好者だったり、芸術家だったり、あるいは、とにかく少なくとも、科学者ではないとおっしゃりたいようなところがある。
   
養老  最近書いた本でまだ出てないんですけど、『この世で一番大事なこと』という副題が付いているんで、それは環境問題。つまり、環境問題って政治の問題です。政治というのは皆さん方は、日々の自分の利害にかかわりのあることを決めること、と定義されていると思うんですけど、私はそういうふうに定義していないんです。まさに村上先生がおっしゃったような、将来の世代を含めて、何が一番大事かを決めてやっていくものが政治だというふうに思っています。
   
岩槻  先ほどおっしゃったように、環境というようなシステムを考えようとしますと、すぐにはオリジナルなペーパーにはならない。それにもかかわらず、環境に関して科学者が貢献しようと思えば、今の日本では競争的資金を獲得しないとやれないという大きい矛盾があるわけですね。そういう意味で、村上先生にお伺いしたかったんです。科学は本当に統合的な視点で、今我々が20世紀に考えてきたような科学の上に、貢献が目に見えてくるような形で評価できるような姿というのがあり得るのかということなんですけども、いかがでしょうか。
   
村上  その点ではかなり悲観的なんです。あるときに講演会をやりまして、そのあと懇親会がありまして、そしたらある大学の、生物学の先生が私のところへいらっしゃいまして、「自分は鱗翅学会に入っている。だけれどもそのことは、大学の中では言えない」とおっしゃるんです。つまり「プロモーションの妨げになり得るから」ということなんですね。鱗翅学会というのは、いわば虫の大好きな人たちも会員であり得るような、そういうグループなんです。
 現在の自然科学の基準から言えば、それは文字どおりアマチュアであって、プロの、論文を書かないような人間だということになっている。その状況が続く限り、やはりその統合的な科学的な仕事というのは、かけ声はたくさん掛かっているんだけれども評価されることは非常に難しいことだというふうに思っています。
   
岩槻  小山先生にお伺いしたいのですが、梅棹先生が人類学というのは、自然科学の中で“つらぬく科学”に対して、“つらねる科学”であると言っていますね。“つらねる”というのは、まさに統合するということだと思うんですが、その辺はいかがでしょうか。
   
小山  あんな偉い人のこと急に言い出されたら、アタマが混乱してしまう(笑)。梅棹さんの意見で印象に残っているのは、「口ざわりはいいが栄養のない情報をこんにゃく情報」と言ったことです。情報そのものに価値があるわけではない。とにかくできるだけたくさん集めて、それを連ねるのだと言っていると思うのですが、僕はむしろ梅棹さんは、あの鋭い洞察力で貫いているのだと思います。
 ところで、さっきの村上さんの意見について考えたのですが、日本人はずっと利益の追求ばかりやっていたのが、最近になって、世界のためだとか次世代のためだとかいうようになった。それを進歩と見るのか、突然変異と見るのか。国際的に見ると、やはり一種の進歩でしょうね。理想と現実がぶつかったとき、どちらをとるか。
   
岩槻  村上先生、いかがですか。
   
村上 人間中心主義は残る
 基本的には人間中心主義というのは、変えられないと思うんです。人間が何かをしようとしているときに、それぞれの種が全部それ自身平等に価値を持っているというのであれば、それこそ病原体から何から何まで全部同じ価値・尺度の上で論じなければならなくなってくる。私たちは、そのことは多分やらないだろうと。その意味では、どこまでいっても最終的に人間中心主義的な視点というのは、人間の中から離れないだろう。
 お釈迦(しゃか)様の有名な話があって、ワシがウサギを追いかけてやってきた。ウサギがお釈迦(しゃか)様のお弟子さんのところへ飛び込んで「助けてくれ」と言った。お弟子さんがワシに「食わないでくれ」と言ったら、ワシが「私の命はどうするんだ」と言った。そこで「私の、ウサギと同じだけの重さの肉をやるから勘弁してやってくれないか」と言って、天秤の一方にウサギを一方に片足を載せたら全然動かない。両足載せても動かない。最後に、その人がはかりに乗ったらようやく動いてバランスが取れた。つまり、ウサギ一匹と人間一人とは全く等価値だという話になるわけです。本当にこれを実践しようと思ったら、ウサギならいいんですけど、細菌まで、ミミズまで、そこに生えている草まで命ということで同じだと言ってしまったら、これは、恐らく人間のものを考えるときの、その考え方の筋道が立ちにくいと思うんですね。
   
岩槻  その人間中心主義を、どのように限定、あるいは、拡大するかというのが難しいポイントではないかと思うんですが。
   
養老  今、村上先生は人間という言葉でまとめられましたが、私はそれは人間が作るシステムと考えるべきだと思います。そうすると、個々の人間とウサギの問題ではないんで、人間が作っているシステム、それは社会なら社会を含めたものと、自然界とのやりとりになります。
 人間中心については、私も全く同じ意見で、人間にかかわりのない自然というのが存在するとすれば、それは意味がない。つまりそれは議論をする必要はないことなんです。
   
岩槻  もっと直截(ちょくさい)に言いますと、我々は生物の死体だけを食べて暮らしていくわけにはいかないので、それは当然殺すということが伴うわけですね。そのことに関して、ごく最近ある委員会で、非常に深刻なことを伺ったんです。外来種に関する話題の一つですが、沖縄のマングース、あれは導入したものなんですが、それが増えすぎて家畜にも影響及ぼしますし、野生のヤンバルクイナなどを食べているというので、捕獲をして、大量に殺りくをしているわけですね。
 そういうニュースが伝わって、たくさんの人から国が大量殺りくをやるとは何事かという抗議が来るんだそうです。学校の先生からも生徒に生命の畏敬について教えられなくなってしまう、というコメントが来るというんですね。
 ですから、先ほど申し上げたように、どこまで人というのを拡大して考えたらいいのか、どこから先はいけないのかというような境界作りが問題になる。
   
小山  今考えていたんだけど、「トキを守る会」とか「マングースを守る会」は、ある程度盛り上がるでしょうけど、「SARSを守る会」というのをしたらすごいでしょうね。みんなにどう言われるのか。やはり私たちは価値判断を持ち込んでいるんですよ。
   
養老  「SARSを守る会」と、たまたまおっしゃったから。私はSARSが流行らないかなと思って。SARSの死亡率は50代50%、60代60%、70代70%で、日本の人口の比率を適正化するのにはあれがはやるのが一番いい。それは冗談ですけれど、もし守る会というものができるとすれば、そういう主張でしょうね、恐らく。
   
岩槻  今のは非常にサジェスティブなお話だった思います。自然の問題にしても、科学の統合化という問題にしても、きょうのお話で結論が出てくるとは初めから期待はしていなかったんですけれども、きょうおいでいただいた方はいろいろと考える素地を得られたのではないかと思います。私自身もそうですけど、これまで自分なりに考えていたことと違う視点から、自然に対する見方、あるいは科学を統合的に見る見方というようなことについて、考えるきっかけを今日得られたと感じています。
 今日のこのフォーラムのことは、花博記念協会のホームページで出させていただきます。今日はフロアから発言をいただくことができなかったんですが、ホームページにコメントをいただくような機会を作っていただけるそうなので、今日のお話をきっかけに何かこういうことを考えていただいて、また議論していただければ有り難いと思います。
 
 
 
 
 
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