
文明が暮らしを変えた
今日は大変難しい題でありますのに大勢の方が来られて、うれしく思っております。
「人間、科学、文明」をどういうふうに関係づけて話をするか、いろいろ方法があると思いますが、今の状況からさかのぼって考えてみたいと思っています。今の状況は、何と言っても、科学の力というのは非常に強い。私の子供のころと比べるだけでも、こんなに変化をした時代はないのではないかと思います。
私は、丹波篠山という田舎の人間ですので、子供時代は飛行機なんて時々しか見られないもので、あれに自分が乗るとは絶対思いませんでした。実際、飛行機が飛んできたら、小学校でも中学校でも必ず、先生が「君たちも見たいだろうから、少し授業をやめて見よう」と、本当にやめて見ました。そんな状態だったのが、今は何百人という人間が乗って、ヨーロッパやアメリカに行くようになった。
それどころか、ロケットで火星まで行って、火星の探検ができる。もっとすごいのは、月まで人間が行って帰ってきた。そういうふうに科学が進んできて、この建物や、マイクロフォン、それから皆さんが着ておられる服は、全て西洋風です。その西洋の近代に生まれた文明は、今では世界を席巻していると言っていいのではないでしょうか。
私の兄は、サルの研究をしていますので、アフリカなどによく行きます。アフリカへ行きますと、人たちがお祭りに火をたいて、踊るのです。それがとても素晴らしいと思っていたら、最近は、みんなTシャツを着て、Gパンをはいて踊っているらしい。「残念だ。前はすごかったのに」と言うと、「いやいや、もうこれを着ないと駄目なんだ」と言う。文明に遅れてしまうという意味でしょうね。だから、そういうところまでアメリカの影響、あるいはヨーロッパの影響が入ってきており、世界中がそうだと言っていいと思います。
豊かさの中で心の悩みが増えた
そんなふうに、何もかも良くなって、日本人は全体としてすごく幸福になったかと言ったら、みんな割と暗い顔をしているのじゃないですか。物とお金を持っているのに、みんな暗い顔をして生きているのは、科学の成果や、これだけの物の豊かさをどう自分の幸福に結びつけるか、ということが分からなくなっているからじゃないかと思います。
その例によく挙げるのは、実際に私のところに相談に来られた方の話です。見るからにみすぼらしい服を着て、暗い顔をして、「これはだいぶ経済的にも困っておられるのだな」と思って会いましたら、何のことはない。ものすごい遺産が転がり込んだという人です。遺産をもらったときはうれしかったが、しばらく経つと「寄付してください」と来るのです。でも、寄附しても誰も喜ばない。腹が立つから「寄附はしない」と言ったら、ケチだと言われる。友達が寄ってきて、皆におごって、飲んだり食ったりしているうちはいいのだけれど、みんなあまりありがたがらない。当たり前、という顔をしている。集まってくれる人間が自分のために来ているのか、遺産のために来ているのか分からなくなってしまう。人生、面白くないから、もう死のうと思います、という話でした。
私は、「もうあなたの診断ははっきりしていますよ。これはイサン過多ですね」と言ったのです(笑)。今、日本は少しこの遺産過多の状態と似ていますね。みんなで頑張って、お金もうけして、物が豊かになった。そこで、よその国に寄付したり、お金を出したりしても、そう感謝もされていないし、出さなかったら嫌そうにされる。そして、お互いが何となく暗い顔をして生きている。これはどこに問題があるのかということを考えねばなりません。
私が心理療法を始めましたころに、「河合さん、そのうちに社会が進歩して、みんなが幸福になったら、心の悩みなんてなくなる。河合さんの商売もあがったりになるよ」と、よく言われました。その時私は、「全く間違っている。世の中が進歩するほど、心の悩みは増えますよ」と言っていました。物が豊かになると悩みがなくなるというのは大間違いです。例えば、医学が進歩してみんな長生きするようになって、昔は「孝行したいときには親はなし」という言葉がありましたが、今は、「孝行はしたくないのにまだ生きている」とか言われて(笑)、そんな状態になってきたわけです。長生きするのがいいのか、悪いのか、大変難しいですね。
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