KOSMOSフォーラム






























トップ > フォーラムINDEX > 第3回概要 > 第3回議事録[基調講演]
第3回KOSMOSフォーラム 2004

基調講演議事録

ストレス社会が広がっている

 ヨーロッパなどへ旅行に行かれる方も多くなりましたが、海外旅行してきた人に「どうだった」と尋ねたら、「とにかく日本食が食いたかった」とか、そういうことばかり言っている人がいます。旅行に行ってすごいストレスを持って帰ってくる。これって本当にいいのでしょうか。今の社会はいい事があるように見えながら、ものすごくストレスの高い社会だと思います。

 皆さんご存知だと思いますが、拒食症という病気があります。ご飯を食べない、食べられない。中には、食べれなくて死んでしまう人さえおられます。こんなノイローゼは、食べる物の無いところには絶対あり得ません。日本でも食べる物が豊富になってからは、たくさんの方がこのノイローゼになっています。科学技術が発達するということは、なかなか大変なストレスです。

 もう一つ非常に大事な本質的な問題があります。科学が発達して、自然科学と技術があれば何でもできる、という思い込みが少しつよすぎるのではないかと思います。例えば“IT革命”という言葉があります。今、携帯が手のひらにおさまるぐらいの大きさになりましたが、もっと小さくなって腕時計ぐらいになる日もくるでしょう。ちょっと押したら「ロンドンは雨だ」、「シベリアは、雪が降っている」とか、世界中の気象が分かってしまう。ある人が「河合さん、これを押すだけで、世界の気象が全部分かる」と言ったので、「あなた、世界の気象は全部これで分かるけど、お宅の中で嵐が吹いているのは知らないでしょう」と言ったのです(笑)。世界中晴れていると思っていたら、家にいる奥さんだけ台風の低気圧のど真ん中におられて、帰ったらすごい嵐が吹いていたりするということは、ITでは絶対分かりません。そっちのほうが大事だと、皆さん思いませんか。

人の心はボタンでは動かない

 私のところへ、息子さんがずっと学校へ行かない方が相談にこられました。私が京大の教授をしていたときでした。その方は入って来るなり、「先生、先生は京大の教授でしょう」と言われるのです。「そうです」と言ったら、「考えてみてください。ここまで科学が発達して、上手にボタンを操作すれば人間は月へ行って帰ってくる時代に、うちの息子を学校に行かせるボタンはないんですか」と。おまえは京大の教授をしていてそれも知らないのか、という感じでした。私は「そんなの、すぐできますよ。今日、子供さんが眠られたら、すのこ巻きにしておいてください。それを担いでいって、あした、学校へほうり込みますから。そしたら、登校していますよ」と言ったのです。すると、「それは困る。息子が自分で学校へ行ってもらわないと困る」と言われた。お父さんが、息子が学校へ行ってくれなければ困る、と言った途端にボタンが無くなるのです。どういうことかと言うと、科学技術の力では行かせられない。私が「すのこ巻きにして放り込む」と言ったのは、子供を物扱いするのであればできるということです。

 今日は人間のことをいろいろ考えておりますが、人間というものも、きちんと科学の対象にできますね。例えばエレベーターに乗るとき、何人まで乗れるのかというのは、だいたいの一人あたりの体重と総量を考えるのであって、その人がどんな人なのかは、全然考える必要がない。要は体重だけの問題です。皆さんがここから出られるときに、どのくらいの出口があったら混乱が起こらないか、というのも大体計算できます。けれども、親と子というようなことが入ってきた途端に、これができない。なぜかといいますと、今我々が言っている“科学”というのはヨーロッパの近代に起こって確立された、近代科学です。観察する人間と観察される物とは関係がないようにして客観的に観察する。例えば、物が落ちてくる速さを研究したり、物の重さを研究したりする時、私が測ろうと、あなたが測ろうと、どなたが測ろうとも同じです。ところが「この時計、なかなかいいでしょう」なんて言うと、思っていなくても「いいですね」と言っている人は、これは人間関係で言っておられるわけです(笑)。人間というのは、大抵何らかの関係の中で生きているのです。

キリスト教が自然科学を生んだ

 中国では、花火の元になる火薬をヨーロッパよりも早く発見し、作り方を知っていたのです。そのとき中国は、専ら花火を研究するのです。ある程度、戦争で敵をびっくりさせるためには使っていましたが、人を殺傷できる完全な武器にすることを中国人は考えなかった。けれども、ヨーロッパの人は武器をつくる事を考えた。だから、ヨーロッパに出来上がってきた近代の武器が、ヨーロッパがほかの国を植民地化するときに、大変役立つわけです。

なぜ、それができたか。ここは解釈の分かれるところですが、私は背後にキリスト教の思想があると思っているのです。キリスト教の場合は、神と人ははっきり違う。人間はいくら逆立ちしても神にはなれない。それだけではなくて、神は、人を神に似せて作られた。そうすると、人間とほかの動物・植物とは違うという、非常に明確な区別がついているわけです。もともとの信仰の世界から区別するということがとても明確にありますので、その態度が、自然科学が生まれてくる一つの根本になったのではないかと、私は思います。

 医学でいうと分かりやすいと思いますが、医学の場合は、研究する者と研究される対象が分かれているというだけでなく、心と体も分けている。はっきり分けて人間の体を客観的に研究すれば、医学が進歩するのではないかと、西洋の近代医学は考えたわけです。そして、今までの医学よりも圧倒的に進歩するわけですね。病気になっている人体を客観的に観察する。そういうふうに医学が進歩したおかげで、我々が長寿になっているのは、非常にたくさんの病気が前よりも治せるようになってきたからです。近代医学はとても進歩し、まだ進歩すると思います。

 [01] [02] [03] [04] [05] 

(C)財団法人 国際花と緑の博覧会記念協会 内容・写真等の無断転載・引用を禁じます。