KOSMOSフォーラム






























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第3回KOSMOSフォーラム 2004

基調講演議事録

関係を切らない、希望を失わない

 次に非常に難しい問題があります。例を挙げますと、糖尿病の方というのは、今は数値がすぐに出ますから、お医者さんが「お酒をやめて、運動すれば大丈夫ですよ。やりなさい」と言ったら、「分かりました」と言うけれども、全然やらない人が多いのです。それで今度来ても、数値が全然変わっていないから、「お酒はどうですか」と言ったら「やめよう、やめようと思っているんですが」と言って飲んでいるわけです。「運動はどうですか」「やろう、やろうと思っているんですけど」と、やっていないんですよ(笑)。私は糖尿病の学会の方からよく呼ばれて、「そういう患者さんにどうしたらいいだろう」「どういうふうに説得したら患者さんがいうことを聞いてくれるか」と聞かれるのですが、私は、こういうふうに、上手に言ったら聞いてくれますよ、という方法はないように思います。「お酒をやめてください」と言ったって、やめられないから飲んでおられるわけですし、運動しないのもそう簡単にするものでもない。では、どうすればいいのか。答えは人間関係です。お医者さんがお酒をやめろと言ったのに、「いや、少し飲んでいる」などと言われて、腹の中では、怒ったり、あきれたりしているのだけれども、それは言わずに「がんばってくださいよ」と言っても、腹の中のほうの気持ちがパッと相手に伝わって、患者さんも「そんなもん、やめられるか」と思うのですね。

 そこで、「そう、飲んでいるんですか」と、心の中でパッと切って捨てない。飲んでいても「うーん、そうか、人間ってそういうものか。だけど期待していますよ。いつかやめられますよ」と心底考える。簡単に言うと、関係を絶対に切らない。しかも希望を失わない。「いつか、この人はお酒をやめるんじゃないか、という希望を失わず、関係を切らずに、お医者さんや、看護婦さんが頑張ってもらったら変わるはずですよ」と、私は言っています。

実際、そのとおりされたお医者さんがおられまして、1年後に会いましたら、ある人の例を報告されました。「河合さんの話を聞いて、うそだと思うけどそういう気持ちで、やってみようと思って診察を続けていたら、もう駄目だと思っていた人が、パッとお酒をやめて、数値も良くなって変わって行かれた。その患者さんは海釣りが好きでよく行かれるのですが、足がすべって、崖から落ちるか船から落ちるかで、もう死ぬと思った時があったそうです。幸いに何かを掴んで助かられましたが、そのときに、こんなに死ぬということが怖いのだったら、お酒もやめよう、となったのです」と言われました。そんな話を、お医者さんが学会で発表されたのです。聞いていた看護婦さんや、お医者さんが「今日の話は面白かったな」と、皆さん喜んでおられるので、次に私が発表する役になりまして「皆さん、さっきの発表、どうでした」と言ったら、みんな「面白かった」と言われました。そこで、「皆さん、面白いと喜んでおられますが役に立ちますか」と問いかけたのです。

個別的なことが普遍につながる

 「その人が体験されたことは非常に個別的です。ひょっとしたら似たようなことが起こるかもしれないけれども、その人にだけ起こったことです。何が面白かったのか、何が普遍的なのか。やはり、関係を切らずに希望を持って会い続けるということで、何か面白いことが起こるのではないでしょうか。ということは、それが普遍的な事なのではないでしょうか」と言いました。そうすると、「私も今度からすぐに嫌そうな顔をせずに、もう少しつきあってみよう」と思われた医師や、看護婦の方がおられて、やっているうちに患者さんの色々な変化に遭遇されたそうです。考えてみたら、私のやっている仕事のほとんどはそうかもしれません。忠告して良くなる人などは、あまり私のところへ来られません。

 どんな忠告もきかない人に私が会っていると、非常に不思議なことが起こるのです。例えば、中学生で学校へ行っていない子が来ます。初めは「学校も行っていないし、お父さんにも迷惑かけているし、お母さんにも迷惑かけているし、早く行かなければならない」とか、「うちのお父さんは、よく働いているし」とか、いいことばかり言っていた子がだんだん、本当はやりたいことがあって、野球やろうと思ったんだけど、お父さんがそれよりも勉強が大事だと言うので野球部に入るのをやめて勉強している、という話になってきて、大体、おやじの言うことばかり聞いていたのが失敗だったのだ、と言い出す。面白いですよ。そういう子は、初め“お父さん”と言っていたのが、だんだん“おやじ”に変わってきたりするのです。そういう言い方になってきて、いくらか自分なりに元気が出てくる。そうなると、お父さんから離れます。

 難しいのは、親子というのは離れないと自立できないけれども、離れてしまったら孤立になってしまう。引っ付いていないといけないし、離れないといけないし、という非常に微妙なところを、中学生とか、高校生がやるわけです。だから、片一方では「お父さんはいいところある」、片一方では「あんな親父、もう……」となってきますね。そうなっているうちに、ある子が「あんなおやじはいないほうが、僕は自分の人生を生きられる。いないほうがいいですよ、先生」と、そこまで言い切ることがありました。私たちは、それはそれで、うんと聞いています。うんと聞いているけれども同意するわけではありません。ここが難しい。うんと聞いているけれども、いいとか悪いとか言うのではなく、「分かった」と聞いて、自分の心の中では「これはこういうことを言っているのか」とその意味を考える。もし、その子が、父親を殴ったら大変なことになりますから。心の中で「やるだろうか、迷っているだろうか」なんて思って帰ってもらったら、実際にあったことですが、お父さんが交通事故で、ひん死の重傷で入院ということになりました。その子は病院へ駆け付けて「もう死んだほうがいい」とか、「いないほうがいい」と言っていたのに、「お父さん」と言って抱きつくのですね。そのときに、やはりお父さんは生きていないと駄目だという体験をするのです。お父さんもそこで親子関係がぐっと密になったら、子供の気持ちが分かるようになりますから、前の親子関係と変わって「もう少し、おまえも好きなことをしたらどうだ」と変わるわけです。その子が「おやじなんて」と言ったときに交通事故が起こるなんていうのは、私がそうしたのと違いますよ(笑)。私は、子供が言ったことに対して考えて、ここで一言先生に言っておいたほうがいいのではないかな、とか、ここでこうやったほうがいいのではないかな、と思うけれども、ぎりぎりまで待っていたら、パッとそういうことが起こる。

私がその話をみんなの前でしたとします。すると、みんな「今日のは面白かったな。先生、いいところで交通事故が起こりましたね」とか言うでしょうけれど、これ、役に立ちますか。何に役立っているかと言えば、ほかのカウンセリングをやっている同僚たちが、もっと腰を入れて人の話を一生懸命聞き、関係を切らずにどんな話でも聞いていき、たとえ、殺すと言おうと、死ぬと言おうと、がっちりとその人の言うことを聞いていこうという態度が、みんなにできてくるわけです。そういう意味ではとても役に立っているけれども、内容は普遍性を持っていない。ここのところが非常に面白いですね。

本物の話とつくり話と

 なら、そんな個別的なことを言う必要はないではないかと言われそうです。紙一枚に、希望を失わずに、関係を持ち続けなさい、と書いていれば、私が心理療法に関する本など書く必要もない。ただ、なぜそれができないかというと、そのお話を知って「ああ」と感じるのと、紙一枚で要点だけを知るのとは違うということなのです。結論的には同じところにたどりつくのですが、その間に話があってこそ、みんなが動かされる。人間の大事なところは、知的に知っているというだけではなくて、“心も体も”動かされて動くというためには、何かそういうものが必要なのです。そこで私は、「物語」ということに注目しだしたわけです。糖尿病の方が海釣りに行って死にそうになったというのも、考えてみたら一つの物語です。ただ、物語と言っているけれども作り話ではありません。

 作り話と本物とをどこで分けるのか。非常に難しいですね。私が今ここで話をしているうちに、何となく迫力があるのは、やはり実際にあった話をお伝えしているからなんです。ところが、作り話と物語というのは、だんだんつながってくると思いませんか。気をつけねばならないのは、こういう話をしていると、だんだん作り話になってくる。

 昔、エリザベスサンダーホームというところで、混血の子供さんたちを助けて、ホームをつくって育て上げられた澤田美喜さんという素晴らしい方がおられました。その方がエリザベスサンダーホームをつくることになったのは、電車に乗っていたときに、自分の上に何か訳の分からない荷物があった。乗務員が来て開けるのを見ていたら、それは混血の赤ちゃんの死体だったそうです。そのころ日本は戦争に負けたあとでしたから、たくさんアメリカの兵隊が来て、いろいろ混血の子供ができて、育てられない人が子供をそういうところに捨てたりしていたんですね。それを見た澤田さんは、何とかしてこの混血児たちを救おうと、エリザベスサンダーホームをつくられたわけです。しかし、お金が要りますから、澤田さんはあちらこちらへ行き、なぜエリザベスサンダーホームをつくるようになったかという講演をして歩かれるわけです。

 ところが、意地が悪いというか、研究熱心というか、澤田さんの講演録を全てチェックしていた人がいるのです。そうすると、澤田さんが電車に乗って、ついうとうとしていたら上から荷物がドサンと落ちてきて、ハッと思って開けたら、それは混血児の死体であった、というふうに、だんだん劇的になってきていることに気がつかれたのです。物語は話しているうちに劇的にしたくなるというのは、私は人間の心理かなと思います。

 皆さん、笑っておられますけれども、自分もやっていることに気が付いておられますか。例えば、釣りに行って、「約30センチの魚を釣ったけれども、逃げてしまった」と言う人っているでしょうか。「こんな大きさの魚だった!」と、手がブルブル震えて、こう手を大きく広げて説明したりするじゃないですか。あれは何を言いたいかと言えば、魚の大きさではない。自分の感激と残念さです。自分の感激と残念さを相手に伝えようと思ったら、やはりお話をしないと伝わらない。しかも、相手によって少し変えられるでしょう。よく釣りのわかる人には手も少し大きめに開いて、分からない人には、さらに大きめに開いたりして。(笑)そこで個別性が出てくるんです。

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