KOSMOSフォーラム
 
トップページへ
 
 
フォーラムINDEX(第9回〜第10回)
第9回内容
第10回内容
第11回内容
 
第3回KOSMOSフォーラム 2004
 
フォーラム議事録
 
中沢

人間の生と死を考える

 生きている人間と死んでいる人間のことを話したいと思います。

 私たちは生きています。この生きている人間にとって一番異なっている存在というのは、死の領域へ行ってしまった方です。この死の領域と生きている人間との関係性をどうやってつくるかというのが、おそらく、人間と植物とか、人間と動物の関係をつくるというところにまで波及してくる非常に重要な問題だと思います。

 人間がこの地球上に誕生してからどのくらいたったかと言うと非常に古いんですね。今の研究から言うと、100万年とか、150万年、200万年とどんどんさかのぼっていっています。しかし、今いる私たち、ホモ・サピエンス(Homo sapiens)の中のホモ・サピエンス・サピエンス(Homo sapiens sapiens)というのが、誕生したのは古くても9万年前くらいかなといわれています。これはアフリカに誕生した連中ですけれども、ヨーロッパへ渡り、アジアへ渡りして、いわゆる旧石器の文化をつくったんです。それが直接、私たちの先祖だといわれています。この人たちが、今いる人間の一番のあかしと言われているのは、最初に墓を造ったこと、ここに一つの大きなポイントを見つけることができるのではないかと考えられています。その前にネアンデルタールという人たちがいて、長い歴史の最後のほうにお墓を造りだしていますが、このお墓は、どうも私たちの先祖の原生人類の影響を受けて造ったかもしれない、とも言われている。いずれにしても、我々はお墓を造り、言葉をしゃべり、象徴を操作する生き物として生きているわけですから、人間と死の関係というのが関係性の中で非常に重大だと思います。

 最近、私が実感したことですが私の叔父が亡くなって、献体をするんです。この献体自体はとても崇高な行為だとは思いますが、あとに残された遺族の心理に関してみると、大変難しい問題を残します。大学病院から遺体を迎えに来て、霊安室みたいな所で少しあいさつをして、そのまま車でスッと運ばれていきます。その光景を見ていますと、私は子供のころから体験したいろいろなお葬式のことが思い浮かびます。一番印象に残っているのは、文久年間に生まれたおばあちゃんが亡くなったときですね。96で亡くなりました。村の人たちが集まって、遺体を前にしていろいろなことを話します。そのうちに「そうだったな」「この人の人生はこうだったな」とだんだんイメージができてくるわけです。私の母親や祖母を見ていると、亡くなるのは悲しい。でも早くいってもらいたかったという気持ちもある(笑)。近所の方たちもそうなんですね。そうすると、こちらではおばあちゃんが亡くなって泣いている人もいるけれども、あちらでは「さあ、あしたの墓掘りはどうする」と言ってお酒を飲んで笑いながら話している。こういうお葬式の全体像、つまり、笑いと涙と、「向こうへいってしまってほしい」「戻ってきてほしい」という感情が入り乱れて、一つになった全体の儀式というのがあった。ところが献体だと、物語がつくれなくなってしまうんです。難しいなと思いました。

人間は死者とどうつき合ってきたか

 日本列島で縄文時代というのは長い歴史――1万年以上もある時代ですが、この縄文がピークに達したといわれているのが、大体4、5千年前ぐらい前で、縄文中期と呼ばれているころです。このころの人びとが住んでいる家は円形に配され、その中心には広場が配置されるんです。そしてさらに、広場の真ん中は墓地だったんです。人が死ぬと真ん中の広場に持ってきて埋めるわけです。朝、家から出て来ると、そこはもう広大な墓地の広場になっている。夜になると、ここで集会をやったり、お祭りをやったりします。墓地の上で人びとは踊り出すわけです。そうすると、死んだ人間が生きている人間の世界で一緒になって立ち上がってくるということが起こる。死人と一緒に踊るんです。明け方までこの状態が続きます。生きている人間と死んでいる人間が同じ場所にいるんですね。昼間は引っ込んでいるですが、夜になるとスッと死霊が出て、それで一緒に踊る。ところが、だんだん時代がたってくると、墓地が村の外へ出てくるようになり、真ん中ではなくなるんです。東北のほうに大湯の環状列石という、たいへん大きな石の遺跡があります。それは人が住んでいた所からかなり山の中に入っていった所に、生きている人間とそっくりの死者の都をつくっているわけです。ここへ行って儀式をやっていたらしい。

 弥生時代になってくると、墓地は人間が生きている空間の外へ出されます。人間が生きている空間は、濠(ほり)で取り囲んでいます。環濠(かんごう)集落といいます。この外側の、山の、ちょうどお母さんのお腹のような地形、ここへ埋葬地をつくるケースが多いようです。私は弥生時代の墓地の距離に非常に関心を持っていろいろ見てたんですが、これは私の仮説ですけれども、環濠集落、生きている人間が生きている世界の直径をRとしますと、墓地の位置は0.61倍あたりの所につくられているケースが多いと、私は発見いたしました(笑)。これは黄金律に関係していて、生きている人間の世界のちょうど0.6倍ぐらいの所に墓地をつくっているんです。これが生きている人間と死んでいる人間の最適の距離、つまり、「離れていってほしいもの」であると同時に「また戻ってきてほしいもの」のちょうどいい位置にあるわけですね。

お祭りには死者が帰ってくる

 日本のお祭りは夏と冬、夏至と冬至のときに、死者が一斉に生きている人間の村に帰ってくるんですね。今はお盆として残っています。昔はお正月の祭りは、霜月祭りといって、11月から12月にかけてと、長いんです。この期間は、死者が大量に生きている世界に戻ってきます。夏の期間も、今、盆で短くなっていますが、もっと長かったんです。夏至をはさんで死者が戻ってくるんですね。この期間は、死者が生きている人の世界に舞い戻ってくるから、食べ物をあげないといけない。施餓鬼(せがき)ということを今しますが、東北のほうに行くと施餓鬼の棚を盛大につくります。そして死者は、村の境から仮面を付けたか、顔の前に黒いきれを垂らして表現されますね。これは生保内(おぼない)という所で行われている盆踊りがよく表しています。きれを垂らして、死人になって村の中に入ってきます。そして村の中をグルグル円形を描いて、踊るんです。この踊りは今の盆踊りの原形です。非常にゆったりした手ぶりを通じて円形を描いていく。これを何晩も何晩もやります。こういう形は生保内にも残っているし、信州の新野の盆踊りにも残っている。これはもう何夜も。多分1週間以上は踊りまくっていたと思います。そうしますと今度は、それを村境からずっと送り出していく。送り出しの儀礼をやるんです。そして、村は、生きている人間の世界になるわけです。

 ここでの考え方というのは、生きている人間にとっては完全に違う存在、他者とどういう関係を保ったらいいかということですね。向こうへ行きすぎてもいけないし、近づきすぎてもいけない。だけど、ときどき人間は、自分ではないものを自分の中に取り入れてものすごく深いものの考え方をしたり、あるいは、先祖が帰ってきて泣いたりすることが必要だった。だから、イタコとか、巫女(みこ)が必要だったんです。そして、死者がまるで生きもののようにして我々の世界に帰ってくる、こういう時間をつくりあげていきます。

昔、人間は動物といっしょに暮らしていた

 そこで人間と動物の関係がどういうふうに出てくるか。人間圏というものができる前の人間は自然圏に住んでいた、というお話をします。1万年前という区切りを入れましたが、その前は旧石器時代から新石器時代と呼ばれていました。その世界では人間は狩猟をしています。狩猟をやる場合、動物は人間の狩りの対象です。人間は動物を殺して、その肉や皮や脂を取って、自分たちが生きていかなければいけないわけです。それだったら今のハンターと同じではないか、と思うかもしれません。しかし、狩りの対象になる動物は人間のハンティングの対象かと言うと、そうではないんですね。この時代に残された膨大な神話があります。それをよく検討してみますと、人間と動物は兄弟であったとか、人間と動物はかつて親子であったとか、人間の女性が動物と結婚したとか、こういう話が世界中に満ちあふれています。つまり、人間と動物は同じ生き物であったという考え方があるんですね。動物は人間の言葉をしゃべり、人間も動物になろうと思えばなることができた。そういう神話の時代があった。人間は動物と結婚して、動物たちが愛情を持ったり、親子の情愛深く、自然を愛しながら生きている人間と同じ生き物だと知るわけです。そうして、我々の社会の中にまた戻ってくると、この人びとはハンターになる。今度は、自分の親類だったもの、親だった、あるいは兄弟だったものを殺さなくてはいけない。ここが非常に重要なところです。神話の中でいっぱい出てくる話は、人間の男が動物の女性と結婚して、たくさんの子供をつくる話です。そうすると、子供の動物は自分の子供になり、雌は自分の奥さんになります。ですから、雌と子供は殺してはいけないというのが、すんなり入ってくるわけですね。「人間と動物がかつて同じ生き物であった」という認識がある。しかし我々は生きていくために、自分の兄弟、親子を殺さなければならない。だとしたら、「自分が殺した動物には最大限の尊敬を持って扱わなければいけない」「乱獲はいけない」――こういう倫理が発生してきます。

長い歴史から生まれたニつの考え方

 神話の中では、ニつのものの考え方が同居しています。ひとつは、人間と動物は同じだということ。もうひとつは、しかし人間は動物を狩らなければいけないということです。これは先ほど言ったお葬式に現れている感覚とよく似ています。「死者にはいつまでもいてもらいたい」「だけど、死者は生きている人間の世界から遠くへ行ってもらいたい」という、このニつの気持ちが同居しているんですね。人間は、長い歴史の中でこのニつの思考方法を同居させています。このニつが並び立って、うまく組み合わさって、人間の世界をつくりあげていました。しかし、これがどこかで破壊されてきました。現代の世界でも私たちはいずれ死にます。そして、これから死者を送っていくわけです。死を、死者をどう扱うのか。それから、死んでいく動物をどう考えるのか。これが、人類という生物がこの地球上でこれから生き残っていくうえに、非常に重大な意味を持ってくるのではないかと考えます。

【川勝】

 どうもありがとうございました。

 以上、3人のお話を承ったのですが、松井先生は自然界、安田先生は人間と自然界とのかかわりについて、そして、中沢先生は、人間界における生者と死者との関係について話されました。中沢先生によれば、縄文時代には、死者は生活の中に生きており、墓地が生活圏の中にある。弥生時代には、生活圏から離れた所にできた、ということですが、こういう関係性と、人間がハンターとして殺していた動物の霊に対する関係のもち方には通底するとことがある。つまり、霊がモノとして扱われて忘れ去られるか、あるいは、自分たちのところに戻ってくると見るかという違いです。河合先生が、「人間というもの、動物というもの、自然界というものを、人間と無縁のモノとして見るという見方の背景には、キリスト教があるのではないか」というお話をされました。

さて、そういうキリスト教圏の中から出てきた自然科学。その中で仕事をされてきた松井先生が、一体、宗教との関係をどう考えられているのか。安田先生や中沢先生のお話をお聞きになって、ご自身が、追究されてこられた自然科学の世界と、その背景にある宗教とのかかわりについて、感想があれば聞かせてください。

【松井】

リアル(物)とサイバー(関係性)

 ここで3人のパネリストが共通して話しているのは、物、あるいは人と物との関係性です。この問題を今私がどう考えているかから話したいと思います。物というのはリアルな世界を構成し、それが何かは自然科学が扱っている。では関係性というのは何か?例えば、頭の中で物語としてそれを考えるようなものです。脳の中に外部世界を投影して我々が脳の中に内部モデルを構築する作業のようなものです。これを例えばサイバーと表現すると、リアルとサイバーという問題をどう考えるか、ということになります。関係性とは、外界を脳の中に投影してどういう内部モデルを築いていくか、ということです。近代自然科学が存在しないときにはどうであったかというと、先ほど中沢先生の話されたように、例えば宗教とか、死者とかとの関係性のたぐいのことをやっていたんですね。我々は今だけを生きているのではなくて、それより前も後も、もっと長い時空スケールで存在しているという認識はいつの時代もあったはずです。そういう、より長い時空スケールを認識し、そのなかで現在という瞬間をどう考えるかというときに、それは自然科学的認識が存在しようとなかろうと、当然、現生人類は何か考えたと思うんです。その一つの思考形態が、いわゆる宗教を生み出したと考えられます。外部世界を脳の内部モデルとして投影し、より長い時空スケールで自分や世界をどう考えるかという、一つの体系立った考え方という意味で、宗教は今の近代科学ができる前には、当然、そういう役割も担っていた。そのように私は理解しています。

現生人類は、言語から抽象世界を獲得した

 人類の歴史は、700万年前くらいまでさかのぼるわけですが、その間狩猟採集を延々とやってきて、現生人類に至って1万年ぐらい前に農耕牧畜という生き方を始め、私の分析でいうと、“人間圏”と称せられるような新しい構成要素が生まれた。ヒトという生物種としては我々もネアンデルタールも、それ以前の各種の絶滅した人類も同じなのですが、どうして現生人類のみがこんな生き方を始めたのか。そこを考えないといけないわけです。単純に考えれば、気候変動があって、1万年前に地球システムが安定化して、季節が規則的にめぐるようになって農耕を始めた、ということです。だけど、そんな気候変動は700万年の間には何度となく起こったはずです。ほかの人類だってそういう生き方をしたっていいわけです。でも、やらなかった。何故か?現生人類に特徴的な何かがあったとしか考えられません。その理由として幾つか考えられると思いますが、1つは、言語を明瞭にしゃべられること。それは、脳の中に外部の世界を投影したような抽象的な世界をつくれるということに関係します。こういう能力がないと、今のような複雑なシステムである人間圏はつくれません。そうした能力を、どういうわけか現生人類が持つに至った。その結果、我々は、外部世界を脳の中に投影することができるようになった。抽象化すると言ってももいいし、サイバーな世界の構築と言ってもいいし、そういうことを脳の中でやり始めた。

 その結果として、人間圏という構成要素を構築でき、こういう豊かさを手にした。宇宙という広大な領域についても、その情報を脳の中にインプットできるようになった。その外部世界が拡大し、地球だけでなく、太陽系だけでなく、銀河系だけでなく、その外側のもっとずっと無数の銀河があるような、広大な宇宙へと。加えて、その宇宙は始まりがある、と。それを近代自然科学という了解の仕方で、脳のなかにモデル化しているのが我々です。でも、リアルか、サイバーかという原点まで戻れば、それは宗教の問題、あるいは神話の問題としても語ることができる。

自然科学の黒白にグレーゾーンが加わった

 私自身は自然科学という領域で仕事をしていますから、黒と白が非常にはっきりした世界で生きています。この黒白というのは、「情報」と「雑音」と言い換えてもいいでしょう。自然科学は情報の世界だけを対象にして、雑音の世界は考えない。その情報と雑音の区切りははっきりしていると考えられていました。ところが、その境界があいまいであることがはっきりしてきました。自然科学の世界で、20世紀までの科学とこれからの科学で何が違ってきたか?黒と白の間に灰色の世界があるということが分かってきたことです。この灰色の世界をどう考えるのか。この灰色の世界をいわゆる科学として扱えるのか、ということをこれから考えなければいけません。

 では、灰色の世界というのはどういうことか。例えば、複雑系と呼ばれる研究分野があります。複雑系とは何なのか。昔の単純系の科学のときは、黒と白だったわけです。例えば、白が情報で、黒がノイズだと思っていたところが、実は黒と思っていた領域に灰色があった。その灰色は、従来の白という意味では情報がないと思っていたんだけれども、実はそれもある意味の情報を含んでいることが分かってきた。今までノイズだと思っていたものにも情報が含まれていると分かってきて、灰色が増えたということです。宇宙というのは基本的に黒と白の世界です。我々が灰色の世界をどうして知っているか?実は大気があるからです。地球という星には大気がある。そのため光と影以外に半影という領域がある。光が屈折され、そうでなければ影の領域になるところがうっすらと見える。お月さんには、そんな半影の世界というのはありません。黒と白だけです。宇宙というのは、基本的に黒と白。地球には、グレー領域がある。こういうことをこれからどう考えるかというのが今日のテーマではないかと思います。それが今までの自然と人間の関係をどう考えるかということの本質に関わる問題です。それを総合的に考えるということと、このグレーゾーンをどう料理していくかということは深く関係していて、それが、ここで今議論している人たちの立場によってみんな違うわけです。グレーゾーンのとらえ方も違う。だけど、方向性(ベクトル)として見れば、みんな似ているのではないかと私は思います。
   
川勝

 松井先生は先ほど、宇宙は分化し多様化してきたのであり、自然科学とは普遍性を追究して、過去の流れの中から未来を予見するのだ、と言われたのですが、グレーゾーンないしは複雑系が注目され出して、また、世界が多様化になっていくとすると、予見が難しいということを、それは含意しているのですか。

 
 
 
 
 
(C)財団法人 国際花と緑の博覧会記念協会
内容・写真等の無断転載・引用を禁じます。