宗教とは何か
私は宗教学というのをやっているのですが、もともとは自然科学、生物学をやってたんです。今、宗教をやっていて、「学問というのは一体何なんだろう」と最近深く考えされられることがあったんです。岩波書店で「講座宗教」という講座ができました。私が卒業した東大宗教学科というところが中心になって、アカデミズムの頂点みたいな人たちがつくっている本です。その連中がつくっている本をみると、『宗教とは何か』という巻があるわけですが、どの論文を見ても分からない。ああでもない、こうでもない、こんなこともある、あんなこともある、とごたごた論じているんだけど、すっきりと「宗教とは」というのが言えてないんですね。
1週間ほど前に、深夜のテレビでNHKの「アーカイブス」というを見ていたら、1964年12月の「婦人の時間」の再放送というのがありました。鈴木大拙先生が登場するというので、私は鈴木大拙の大ファンですから、是非見たいと思って見たんです。司会は犬養道子で、「先生、宗教って何でございましょう」と聞くわけです。すごい質問をいきなりバンとぶつけるわけです。そうすると、鈴木大拙先生が「宗教というのは、無限への憧憬(しょうけい)ですわな」と、スコンと言う。すごいですね。
この、無限への憧憬(しょうけい)というのは、すごい定義です。私はこれを見て本当にびっくりしました。学問というのものは、こうあらなければいけない。どんな質問がきたときでも五七五。七七も要らないくらいで(笑)、スコンと言えるぐらいにならないと学問とは言えないと思います。
ネアンデルタール人はなぜ芸術を持たなかったか
「人類とは何か?」犬養道子にこんなことを聞かれたら困るなと思いますが(笑)、原生人類とは何かと言うと、いろいろな条件がありますが、一つとても重大な問題があります。私たちの前の時代にいた人類であるネアンデルタール人は、子供時代が非常に短いんです。すぐ大人になってしまう。3歳くらいで、残された骨などから見ると、成年と変わらない。犬などが1年ぐらいで、成犬と同じくらいになってしまいますが、かなりあれに近かった。3歳か4歳で、もう相当いい大人なんです。ところが我々はどうかと言うと、長い幼年時代を過ごします。この長い幼年時代で、一体、我々の脳に何を育てているか。これが、先ほどから松井先生のお話で“グレーゾーン”として出てくるもの、それは近代の科学が無意識として取り出したもの、だと思います。
ネアンデルタール人の研究が、今非常に進んでいます。彼らが言語を持っていたことは間違いありません。しかも、相当高度に発達した言語を持っていて、それで社会組織をつくっていただろうと言われています。「これは水である」とか、「これは鉛筆である」とかいう情報を伝える、情報伝達意思体系としての言語体系は、ネアンデルタール人はほぼ完ぺきに持っています。それから、石器のつくり方を見てみても見事なものです。左右対称、きちっと左右で切り分けています。このようにネアンデルタール人は、非常に高度に発達した知性を持っていました。ところが、なぜ彼らがお祭りや宗教、なかでも芸術を持たなかったか。ここが大事なんです。芸術の誕生というのは、3万数千年から4万年ぐらい前と言われていますね。それがどういうことかと言うと、ここで無意識の問題が大きく浮上してきます。
無意識というのは何か。例えば、狩りをやったり、道具をつくったりという、特化した能力を持ったコンピューターがネアンデルタール人の頭の中にあるとしますと、これがみんな分離しているんです。それがおそらくは長いスパン――9万年から4万年ぐらいの間に脳のニューロンの組成に大きな変動があった。その変動というのは、それまで横並びになっていたコンピューターをつないでいく横断通路ができたということです。それができると、人間は象徴表現ができるようになります。恋人に向かって「あなたはバラのようだ」と表現できる。ネアンデルタール人は、言わなかったと思いますよ。もし、それを言ったとしたら、芸術をつくっているはずなんです。
無意識から宗教が生まれた
象徴表現が可能になるためには、無意識が必要です。無意識というのは、いろいろな脳の領域の中で直観が働く部分です。それから、全体性把握ができるということですね。部分と全体の総合把握ができるようになって、そして物事が違うものの間に共通性を見出していく。つまり、先ほどの「人間と動物は同じである」という認識方法が可能になってくるわけです。この無意識の領域が発達するためには、長い幼年時代が必要です。私たち原生人類は子供時代が長いし、この時代が非常に無意識を育てるのに重大です。この無意識が語る言語というのは、おそらくは、音楽と詩と芸術に最も近いものだと思います。ということは、今は脳の中に自由な領域が出来ているわけですから、脳の構造と心の働きは合致しない、という状態がつくられているんですね。今、脳生理学者が心の働きを脳の構造で解明しようとしていますが、あれができるのは、ネアンデルタール人までだと思います。原生人類は、脳の構造と心の働きが合致していません。つまり、人間の心の中に自由領域が発生します。そして、この自由というのが無限につながってきます。ここで鈴木大拙が出てくるわけです。「宗教とは何でございましょうか、先生」「それは無限への憧憬です」と。それは原生人類というものが発生したときに、私たちの脳の中に自由な活動領域が発生して、無限というものを私たちが認識するようになった。それはどこにあるか。心の中にあるわけです。ここに、宗教の最初の発端がある。しかも、それはいつもあこがれの対象になるんですね。憧憬なんです。なぜかと言うと、認識して言葉でとらえようとすると、それは逃げてしまうからです。つまり、私たちがいかに健康な生命体として、この地球上で生きていけるかどうかは、無意識というものを、いかに図太く生き返らせていくかということにかかっています。
現生人類の能力を生かす
私たちは全部、現生人類の能力を持っています。無意識があるんです。今は、社会の状況、メディアの状況、経済の状況と、無意識の領域はいろいろなところで抑圧されたり、表面に出てこないように弾圧されて萎縮していますけれども死んでない。私たちが人類である限り、この無意識は残っています。ですから、絶望する必要はないのではないかと、私は思います。 |