KOSMOSフォーラム
 
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フォーラムINDEX(第9回〜第10回)
第9回内容
第10回内容
第11回内容
 
第3回KOSMOSフォーラム 2004
 
フォーラム議事録
 
松井

普遍性と特殊性の価値を逆転させる発想が必要

 我々は暗黙のうちに特殊性より普遍性に価値を置いています。例えば、イラクの戦争にしても民主主義という普遍性というか、大義が語られてとか、あるいは、いろいろなところでグローバライゼーションと言われますが、これはまさに、普遍性を追究するという考えです。形而上の世界では普遍性を追究するということは自明のことのようです。今日のテーマでいくと、「文明」もそういうものでしょうね、普遍性を追究する。それに対して、それぞれの風土とか、歴史に根差した生き方みたいなものを「文化」だと呼ぶとすると、文化は特殊です。我々、形而上の世界では普遍性を追究しているわけです。それが至上命題でして、それに優る価値はないと我々は思い込んでいます。一方で、形而下の世界を見ると、不思議なことに我々はとても特殊性にこだわっています。例えば、我々はダイアモンドという物質に大変価値をおいています。これは希少で特殊なものです。あるいは、人間の世界でも、天才をもてはやしたりします。しかし実際の社会を考えてみると、脳のあらゆる部分がバランス良く発達して、バランス良く判断できる普通の人がいる、ということが非常に重要なところです。現代という社会は、バランス良くいろいろなことが判断できる人がいるから、これだけ発達したともいえます。物の世界でも同様で、我々はダイアモンドを食べて生きていけない。一方、空気とか水というのは地球上で普遍的なものです。どこに行ってもある。いっぱいある。普遍性のある物質です。それらなくして生きてはいけないくらい、本来は重要なものです。しかし形而下の世界では我々は今まで、特殊なものに価値をおいてきた。これからは逆に、普遍性のあるものに価値をおくおくべきではないか。要するに、地球上にありふれたものが重要なんだ。形而上の世界では、普遍性ではなく特殊性に価値を見出し、形而下の世界では特殊ではなく普遍性のあるものに価値をおく、という発想の転換をすると、今、世界で行われていることの矛盾が非常によく分かってくると、私は思います。
   
川勝  ありがとうございました。安田先生、どうぞ。
   
安田

大地を目指せ

 ローマのシスティーナ礼拝堂にラファエロが描いた「アテネの学堂」という絵があります。そこに、プラトンとソクラテス、アリストテレスの絵が描いてあります。プラトンは天を指しているんです。あらゆる「真理は天から」で、アリストテレスは大地を指しています。プラトンが生きた時代はギリシャ文明の繁栄期で、アリストテレスが生きた時代は、ギリシャ文明が自然の破壊の中で、森を破壊して衰亡に至ろうとしている時でした。

 私と松井先生が対談すると、いつも最後に決裂するのはここなんです(笑)。つまり、松井先生は天を目指している。私は「大地を目指せ」ということなんです。文明の大地化ということが必要だと。私が、最近一番感動した言葉があります。NHKのテレビを見ていましたら、ユダヤのアウシュビッツの収容所で、長い間音楽を弾いて、自分の同胞をガス室に送り込んでいた女性がいたんです。ユダヤ人をガス室に送るときに、そのそばで音楽をむりやり弾かされていた。その人はものすごく心の病を持って、自分の仲間を華やかな音楽で独房へ送ってしまったと言って悩むわけです。その人が最期に言った言葉は「季節がめぐって来て、麦が芽を出して、豊かな草花が花を咲かせる。その大地の豊かささえあれば十分だ」。これですよね。ここが、私の言いたいことです。
   
川勝

 ありがとうございました。では、中沢先生、どうぞ。

   
中沢

日本人がうまくやってきたこと

 安田先生は、先ほど、里山ということをおっしゃったけれども、私もそれはとても大事なことだと思います。つまり、日本の文化システムをつくってきた特徴というのは、先ほどから出ている神話の考え方とか、無意識の領域と合理的なものをどう折衷させて、一つの全体のシステムをつくっていくかということで、これを日本人は長い時間かけて結構うまいものをつくっているんです。だから、非常に、現代的なものと人間の中の野性的なものは、結合したものをつくる能力がありました。これはアジアの人間の中でもかなり良いものをつくってきたと思います。新しいものが入ってきても、お互い違うものが出たときネゴシエーションして、中間状態みたいなものをつくり、うまく運用するようにして、この日本の世界をつくってきたと思います。それはついこの間まで、人間関係でも、社会の決定システムにおいても作動していたんです。しかし、今度は「それは劣ったものである」「間違ったものである」という宣伝がされ始めていく。そしていろいろなところで破壊が始まっているわけです。これは多分、何かの意図を持った人たちが、何かの戦略を持ってやっていることで、日本人はこんなことにだまされてはいけないのではないかと、私は思うんです。

 今の若い学生たちと付き合っていて感じることがあるんです。それは、私たちの学生のころは、日本的なものとか、古いものというものはかっこ悪くて嫌だったんです。「みこしを担ぐのにふんどしでハチマキなんかをするのは嫌だな」と思っていたけれど、若い人たちは結構好きなんですね。それを見ていて、何か物の考え方に変わりが発生し始めているなと機運はつかんでいます。あの小ギャルたちにどうやって私の言葉を伝えたらいいか、ということが、今、私が抱えている最大の課題で(笑)、あなたたちがやっている“顔グロ“だって、言葉遣いだって、本当は悪いものではないんです。ナマの裸すぎて、そんなもの世界で通用しないけれども、ただ、そこにあるものはとても良いものだから、こいつを鍛えていくと、我々はこの先もう少しマシな世界がつくれるかもしれないぞ、という希望を持ちます。なるべく、これを、日本主義者とかいうふうに言われないように、うまく言っているわけです。

「聞く耳持たない」が大切

 私たちがかかえてきたもの、特に日本語の中に伝達されているものの中には、あるシステムがあります。これは非常に賢いシステムで、破壊させないために、私たちは意識的に努力しなければいけません。これが劣ったものだとか、遅れたものだとか、あほらしいとか、グローバルスタンダードに合わないとか、そんなことを言われても「聞く耳持たない」という気持ちを持つ必要があると思います。「聞く耳持たない」というのは非常に大事なことで、私たちの世代はみんなそうなんですが、世間に合わせるということをやってしまう世代です。「人が何と言おうと、自分を良く見せようとしない」、こういうものが確かに我々には欠けているなと思います。日本人全体がこれから世界に向かって、「聞く耳持たない」という賢明なる愚かさを持つ必要があるのではないか、と私は思います。
   
川勝

 どうもありがとうございました。三人三様のメッセージをちょうだいしました。

 松井先生からは「天才恐れるに足らず」ということで、“バランス”というキーワードをちょうだいいたしました。安田先生は、「文明の大地化」と言われました。それは「土地には魂が宿っているから、その地霊に聞け」というメッセージとして受けとめられます。中沢先生からは、その地霊の一番大事なところは、日本人が保持していると言われたのではないかと思います。そして、それを託せる世代は小ギャルだということで(笑)、我々団塊の世代がきっちり説得できる、技術といいますか、器量を持たねばならない、ということを言われまして、私も賛成です。

個別から全体を考える

 今日のお話は一見、あちらに飛んだり、こちらに飛んだりしたように聞こえたかもしれませんが、河合先生の問題提起として、一般的なグローバルな規格化ではなく、一つ一つの個別が大切であり、その個別の中に全体がひそんでいるという問題提起を受けて、私たちは議論をすすめたのです。全体性は関係性と言ってもいいのかもしれません。個別の存在には全体との関係性があり、今、バランスを無くしつつあるから、松井先生は「バランスを取り戻せ」。そのためには安田先生が「大地に聞け」。そのバランス感覚を取り戻すべき「可能性と義務が日本人にある」という中沢先生の発言で、起承転結したのであります。

日本の「引きつける力」が地球社会へのメッセージとなる

 さらにつけ加えれば、日本は縄文時代以来、さまざまな文明の文物を受け入れる「受容」という歴史的過程をたどってきました。中沢先生の言われるとおりです。いわばベクトルは内に向かっている。外に押しつけるというよりも内に向かっている。これは一見、内向性みたいですが、それを積極的に言えば「引きつける力」です。引きつける力を、日本文化という個別性の中に宿している。日本は世界を受容することで全体性を宿している。だから、それを回復するといいますか、その受容力を自覚すれば、引き付ける力として地球社会に対するメッセージになり得る、ということです。今の日本市民一人一人の、一種の使命感を喚起するメッセージになったと思うわけであります。

 長い時間、ご清聴ありがとうございました。
 
 
 
 
 
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